横濱ジャズプロありがとう!
コロナ禍で止まっていた時間。今年はようやく、「横濱ジャズプロ」が帰ってきた!
前日は、いつも通りに過ごす。特別なことはしない。
朝RUNからの、昼寝からの、カラオケでのトランペット練習(ジャズプロのソロ練習と、いつものカラオケかけながら曲に合わせてトランペット吹きまくるやつ)。
遠足前の気持ちであったが、眠れないと困るので前日は朝RUNしているのに、夜もしっかり走ってクタクタで眠りにつきました。よし。
寝たの24時回っていたのに、起きたら6時だった。
朝起きたらやっぱり朝RUNをゆっくり走る。散歩みたいな感じ。走っていたら、なんか急におなかが痛くなって危なかった。公衆トイレあってセーフ。ちょっと本当に危なかった。本番前に一大事になるとこだった。危なすぎて、いっかしょだけ横断歩道ないところ突っ切った(かも)。
ジョギング終わって、少し横になってたら30分くらい寝てた。
一般席にも移動してライブを堪能。そうこうしていると出番が近いのですぐに裏側に戻る。戻ったら、自分が一番最後だったw。
ライブは楽しかった。始まったらエンジン全開で、これまで味わったことないエンジンの排気量を感じた。トランペット最初から最後までバリバリでした。
ライブ会場には、懐かしい面々がいらっしゃってた。
ジョギング終わって、少し横になってたら30分くらい寝てた。
昼のステージ二番手である。
よし、出発だ。
会場の横浜はYBPへ向かう。横浜駅につくともう楽器を背負っている人あちこちにいらっしゃった。懐かしい光景。みんなマスクしているのだけがこれまでと違う。
一つ前のバンドの演奏をこの裏側で聞くという特等席。
一般席にも移動してライブを堪能。そうこうしていると出番が近いのですぐに裏側に戻る。戻ったら、自分が一番最後だったw。
ライブは楽しかった。始まったらエンジン全開で、これまで味わったことないエンジンの排気量を感じた。トランペット最初から最後までバリバリでした。
ライブ会場には、懐かしい面々がいらっしゃってた。
前職場の盟友、学生時代の友人。数年ぶりに顔お合わせたのだけど、しゃべると一気に昔に戻る。みんな元気そうでよかった。みんないい年齢になってきたけど、変わらない。
現職場の方、姉夫妻と甥っ子。普段あっているようで、あっていなくて、こういう会場で会うと新鮮だ。
横濱ジャズプロ実行委員会の方々、ほんとうにご苦労様でした。ありがとう。
こういう時代に戻ってきて嬉しい。バンドメンバーにも感謝だ。今回、わたしたちは13回目の参加らしい。そんなに参加していたのか。(私は4~5回出ていない気がするけど)
今年のトランペットについてはここにしっかり記録を残しておきたいことがある。
私のトランペット歴は、紆余曲折ありながらも30年を超えている。
最初にトランペットの壁にぶつかったのは高校三年生のとき。そんなにトランペットに思い入れないのかなと思いながらも嫌いでもないので、続けていただけ。
それが、大学に入ってやっぱりトランペット続けようと吹奏楽団に入った。初めて楽器も購入。対して努力もしたつもりもないけど、そこそこトランペットは吹ける側だったと思う。あんまり苦労せずにそこまでキャリア12年となっていた。
社会人になったらトランペットどうするだろうと思ったけど、ちょうど大学の同期がビックバンドを結成すると言うので声をかけてくれたので、混ぜてもらった。
ジャズなんて吹奏楽から見たら真逆の分野なんだけど、見よう見まねで自己満足で始めた感じ。私的には同窓会みたいな感じで参加してストレス発散の場としてバンドやってた。
そうこうしてると、ジャズ・ビックバンドをしっかりやってきた同世代の他のバンドに衝撃を受けた。ライブ慣れ、トランペットがぜんぜん自分たちと違って、あぁ、自分達はやっぱり吹奏楽あがりなんだなと土壌の違いを感じた。
あのときの衝撃からジャズトランペットの成長を意識するようになった。でも、もともと練習嫌いなのと、誰かに教わろうともしないのでグダグダになっていった。いつしか、トランペットにかかわらないようになっていった。そして周りは少しずつジャズっぽく進化していたが、自分は1ミリも進化しなかったし、努力もしなかって。
ある時バンドを休むことにした。仕事が忙しかったんですけどね。あれは3年くらいお休みしていた。
もう一回やろうかなと思ったのは、やっぱり今のバンドのメンバーが横濱ジャズプロに参加しているの見て楽しそうで、どんどんみんながジャズっぽくなっていくのを見たからだ。もういちど加えてもらうことにした。
ジャズ初めて、最初の転機は2007年。トランペットの新調が転機となった。(ここでトランペット歴18年。)今も使っている「Stomvi(ストンビ)」というスペインメーカーの楽器。これに出会ったのが大きかった。音域が一気に変わり、楽器の相性があることを知った。
次の転機は2010年の趣味ジョギング開始だ。(ここでトランぺット歴21年)ジョギング始めたら身体も体格も一気に変わって、私生活がいろいろ変わった。煙草もやめた。体がわかるといろんなことが変わったのだけど、トランペットにもはっきりと違いが出た。音が一気に太くなったのだ。
次の転機は2015年だ。バンド15周年記念ライブからマウスピースをジェットトーンというタイプに変更した。これは賭けだった。高音域はでやすくなるらしいが、音がペラペラに薄くなり、低音域が逆にでなくなるという噂。最初試してみたとき、吹きにくくて向いてないと思ったが、地道に練習をしていると3~4回目くらいから、音が当たるようになってきた。確かに高音が出やすい。あと、中音から低音がぜんぜん音出ないので、曲によってマウスピースを変えて乗り切っていた。
マウスピースを曲ごとに変えていても、実際問題、一つの曲の中でも高い音や低い音あるので、交換が間に合わないことがある。なので、なんとかジェットトーンのままで中音から低音もでるようにならないかなー(もちろん高音域も出る状態で)と、試行錯誤続いた。
ここからは、私が特別なのかなんなのか、それとも訓練次第でどうにでもなるのかわからないが、ジェットトーンのままで低い音も高い音も超高音域も出せるようになっていった。これは数年かかったけど、転機だったといえます。ジェットトーンで低音・中音域をここまで太く出せる人は珍しいと思う。
次の転機は2019年。(ここでトランペット歴30年)一月ごろだったと思うけど、ジャズプロに向けた選曲で「Over F」というトランペットでかなり高音域を必要とする曲との出会いだ。この時、ジェットトーンというマウスピースにも種類があって、ちがうタイプを使ってみたら、すごく高い音がでるではないか!ダブルハイベーといわれる超高音域もでる!これはすごい!ここまで30年かかったのか。ジェットトーンを変えたことが要因なのか、もしくはもう一つ、実は体がとても硬くて、前屈はもちろん正座もできないひとでした。これを治療院でお金をかけて(決して安くはない)、体を柔らかくしてもらったのもちょうどこの時期なのである。ジョギングで故障しやすかったので、柔軟をそっちの理由でほしかったのだけど、もしかしたら超高音域が出るようになったのは、これも関係しているかもしれない。
ただ、2019年はコロナ禍突入の最初の年。ジャズプロは開催されなかった。私はそこからトランペットを2022年の5月まで一度も吹かなかった。全くの一度も吹かなかったのだ。今年、ジャズプロを開催するということでしぶしぶ楽器を出してきたに近い感覚。大井町に引っ越ししていて、練習場所に近くのカラオケボックスを利用してトランペット再開したのだ。しぶしぶだったのに凄い楽しいではないかトランペットは!
そして、今年も記憶に残る転機があった。そう、カラオケボックスでの、カラオケ流しながらのトランペットだらだら吹き続ける練習のことである。カラオケで最初は楽譜みながら演奏する曲の練習をしていたのだけど、そのうち試しにカラオケで選曲してトランペットを合わせて吹いてみたら、とても楽しくて止まらなくなった。カラオケで流す曲は基本的に前奏もメロディーも間奏も全部吹いているの、くったくたになる。でも、これはトランペット演奏における「持久力」につながったのは間違いない。今年のバンドのリハなどで、最後までばてずに吹き続けられるようになっている自分にあるとき気が付いた。
よは、30分くらいで「もう疲れたー、バテたー、音が出なくなってきたー」との戦いだった人生。2〜3時間であれば、体力・唇がもつようになった。
ここでトランペット歴33年である。今年は、トランペッターとして忘れられない大きな転機であった。この後、トランペットを10年も20年も続けるとき、この2022年を他の転機とおなじように忘れないだろう。
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